まず、前置きをいただいた辻光博先生に、感謝を述べます。また、このような公演の機会を与えてくれた大学、通訳をする辻博子先生、そして、この公演を聴いていただく皆様にも、大変感謝しております。ありがとうございます。
1:私たち西洋人の直面する、問題とは
  まず、私の意見では、西洋は俳句というものを理解していない、と思っています。これが、私が今日皆さんにお話したいと思っていることです。ここでいう「西洋」についてですが、歴史的にヨーロッパの根源を持つ国々の事を指しています。
  今日の講演については、スペイン語を話す国々を中心に話を進めるつもりです。というのはそういった国々で、私は「俳句入門」という講座を多く開いてきましたし、私の本の読者もスペイン語の読者だからです。
  しかし、今からお話しする問題というのは、何もスペイン語圏だけに限ったことではありません。問題の原因は、北米(アメリカ)人、フランス人、ブラジル人などの俳句の理解にも、見受けられますが、根は同じなのです。
  西洋というものは、俳句を理解できないだけではありません。新たに俳句というものをでっち上げて(作り上げて)しまっているのです。

  ここで、どのようにして、あるいはなぜ俳句が西洋へ広まったのか、また、同じくどうやって、そしてなぜ西洋が、俳句とはぜんぜん違うもの、そしてまったく面白くないものを作り上げてしまったのか、見て行きたいと思います。
2:問題の根源(その大元は?
   西洋において、俳句が理解できないこと、そしてそれをゆがめてしまったことについては、おそらく、西洋には俳句の宗匠というものがいなかったためであろうと考えています。
2-1、
   まず、西洋において俳句の先達者というものは、イエズス会士たちでした。イエズス会士たちというのは、具体的に言えばスペインーポルトガル系の人々で、15世紀、非常に早い時期に日本にやってきています。
   もし彼らイエズス会士たちが、キリスト教を伝道しようとする目的ではなく、純粋に知的好奇心をもって日本文化を理解しようとしていたならば、今日、状況は変わっていたかもしれません。
   イエズス会士が、この非常に優れた宗教団体が、フアン・マシアー神父、ハイメ・フェルナンデス神父、フェデリコ・ランサコ神父、ユキ・パチェコ神父ら、非常に学識の高い人材を日本に送り込んで、数百年もかけて行ったことといえば、いったいなんだったのでしょうか。
 
   とりわけ、彼らがその深い知識をもって行ったことというのは、キリスト教の基本概念を日本語に翻訳することでした。彼らの深い知識、そう、あまりにも「すばらしく」深い知をもって処したために、retocando…
   しかし、イエズス会というのはスペインにも、他のスペイン語圏諸国にも、日本のことを深く学べる学院というものを設立することができませんでした。日本に足しげく通い、veteranosが新しく日本に行ったものを教育し、しかしただそれだけで、つまりは彼らの宗教団体の中だけで知識の伝達が完結していたのです。
 
   21世紀に入り、イエズス会はほぼ完全に、と言っていいほど、教会の内外における影響力を失いました。そして、彼らの「日本使節団」は、日本文化を解く根本的な鍵となることを世界に伝えられないまま、その力が衰えていっています。
   一つだけ彼らの残したもので、例外があります。それは仏教の、禅です。エノミーリャラサル神父(の時代)から、イエズス会は禅に魅力を感じ、それによって、ヨーロッパにおけるキリスト教の理解の方法が変化しました。これによって神学における真の改革も起っているのです。しかし、これについてはテーマが違いますので、今日はお話しません。
2-2、
   一方、イエズス会とはまったく違った流れがありました。西洋へ、仏教の禅僧たちが赴いたのです。彼らも俳句の宗匠たり得ました。その中で重要な禅僧が3人います。
   鈴木大拙てい太郎、彼は1897年にアメリカ合衆国へ行きました。次にたいせん・でしまる、彼は1967年パリへ行き、そして池田大作は1975年から国際的な影響力を持っています。
   彼ら禅僧は英語やフランス語を学び西洋へ渡り、西洋文化へ大きな影響を与えています。彼らによって何千もの人が仏教徒へ改宗していますが、日本文化を説明する責を負っているわけではありません。
   西洋の人は、武道や俳句、あるいは他の、日本文化に対して大変興味を持っていることがわかりますが、仏教を説明するときに今言ったような日本の文化をあげて説明するのです。
   西洋において、彼ら仏教者の残した仕事の中で見られるのは、日本の文化生活において仏教の与えた重要性というものが深く関わっていると、誇張しすぎています。
2-3、
   さらに、スペイン語へ翻訳をする人々も、俳句の宗匠となりえたはずでした。そのうち、アントニオ・カベサスとフェルナンド・ロドリーゲスイスキエルドの2人は、イエズス会徒でもあります。そして、残りの人、というのは、フスティノ・ロドリーゲス、アルベルト・シルバ、そして私、の3人ですが、イエズス会ではありません。
   俳句をスペイン語に翻訳する翻訳者が俳句の真の宗匠とならない理由は、さまざまです。
   スペイン語界では、現在、日本の俳句に関して30冊以上出版されています。しかし、しかしその半分弱は、日本語を一言も知らない人が、誰かの翻訳をしたに過ぎません。英語からか、フランス語からか、あるいは両言語からの訳を混ぜているかもしれません。
   先ほどの、スペイン語における俳句の翻訳者5人だけが、日本語を話せるのです。さらにその中で、日本語を普通の速度で(普通に)読めるのは2人だけです。
   さらに言えば、読むことができ、日本語から直接翻訳することができる者でも、翻訳を日本語から直接行うのではなく、ブライスという人の作品を下敷きにしています。
   ブライスは、『俳句』(全4巻)と『俳句の歴史』(全2巻)の作者で、1949年から1964年の間に、ホクセイドウ出版から、多くの俳句について本を出しています。その俳句にはかならずその原文、ローマ字の読み、英語訳をつけ、たまに解説も載せています。
   つまり、ブライスの本というのは、一種の宝庫なのです。しかし問題も2つあります。一つ目は、彼のつける解説は、非常に深くまた詩的なのですが、時折西洋的な学識からくるものを混在させています。これはオリジナルにはないものなのです。例えば、ある、蕪村の句ではキホーテのことについて解説し、芭蕉の、ある俳句では、ロード・バイロンについて述べている、といった具合です。
   問題の2番目は、ブライスの仕事の中でもっとも重大です。ブライスは、完全に間違った結論を引き出しています。それは、「俳句とは禅の詩である」ということです。
   どうしてブライスは、まったくこっけいなこのような考えにいたったのでしょうか?
   もしブライスの人生について知りえていたら、その源が何なのか知ることができます。すなわち、ブライスは鈴木大拙の直接の弟子なのです。ですから、鈴木大拙が、俳句とは禅の心を持つものだと、決して断言しなかったとしても、彼の弟子たちが、俳句とはすなわち禅の心だと信じるのを否定せず、弟子たちがそのように説明していくのをとめませんでした。
   何十年にも渡って、鈴木大拙やブライスの本を読んだ何百人もの外国人らは、実際、俳句への興味を示すその理由は、仏教的精神の一部をなすものであると思っていたからでした。
   日本人は、禅というものは日本文化の一つの要素でなす、としてきましたが、しかし、日本文化は禅だけではないのです。しかし、これほどまで確立された大きな流れを修正していくことは、至難の業です。
   スペイン語では、今日まで、日本の俳句についての博士論文はたった二つしかありません。ロドリゲス・イスキエルドの、ブライスの理論が禅と関係があるものを認めたという1972年のものと、私自身の、それとはまったく反対の理論を出した2000年のもの、これだけです。
   一方、フランス語翻訳者らはブライスの理論から離れ、独立しています。しかしその影響力はあまりなく、スペイン語話者に対してはほとんど影響を与えていません。レネ・シエフィの著作は、どういった形であれ、世に紹介されなければと思います。
2-4
   最後に、日本文化の主要な側面において西洋人教育の重要な一翼を担っているものがこのグループです。つまり海外に渡った日本人個々人です。日本語の教師の中で最も優れた人物として、セビーリャの永川礼二氏や、メキシコのサカイ・カズヤ氏が上げられます。
   彼らは、彼ら自身の持てる知識をすべて伝達するという責務を引き受けました。たとえ、日本文化のいろいろな面は個人一人が担うものとしては非常に広い領域ではありましたし、そういった大いなる師の大半は、スペイン語圏の研究者であったのですが。
   海外に渡った個々人の例としては、主婦や、フラメンコで留学をした人などがありますが、彼らは精一杯、誠実にそれを伝達しようとしますが、自分の国の文化というものは私たちの想像以上に手に負えないもので、幅広い知識が必要なのです。
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   結局、ここまでをまとめます。せっかく俳句の宗匠たるきっかけがあっても、層はならなかったこと。それぞれ理由があります。
日本のイエズス会士たちや西洋に赴いた日本の仏教者らは、それぞれ宗教的信仰を流布しようとしていたということ。
日本文学のスペイン語への翻訳者たちは知識が足りなかったこと
西洋に渡った日本人個人個人は、西洋人の興味を引くすべてをカバーするにはいたらなかったこと。
3:「日本」というものの権威
外国人が、もし、俳句とは何であるか、それを知らないだけなら、何も問題はありません。問題は、知らないくせに、俳句を作りたがるということです。
   パシュトゥーンの人々はランダイスという短い詩を作ります。しかし、世界中、誰も、彼ら意外にはランダイスを作ろうとはしません。アラブ人もルバイヤートという詩を作りますが、アラブ人以外はだれもルバイヤートを書こうとはしません。
   中国人はフエフという8音節からなる4行詩を作ります。しかしそれを作るのは彼らだけです。アン・ヘレン・スアレスという、中国語からスペイン語への翻訳者は、スペインでフエフについての本を出版するためには、出版社に「フエフとは中国の俳句である」と説明しなければならなかったと、愚痴をこぼしています。
   では、なぜ、人は俳句というものを知らないのに俳句を作りたがるのでしょうか?
   東洋的なものが流行している、ということだけではないでしょう。これも、他の提起された例には有効かもしれませんが・・・私は、「日本」そのもの、つまり日本文化や日本人のすばらしさといったものとは別に、日本ということがブランドになっていると思うのです。
   日本的なもの、という権威が世界中を支配しています。「日本」ということはつまり、奥深さがあり、本質というものがあり、優雅である、そういうことなのです。
   ですから、西洋世界の重要な詩人は、彼ら自身が俳句を作るということを試してみたい誘惑に勝てないのです。そして、残念ながら、学院を作ってしまいました。
   ひどい俳句。つまり、俳句のようで俳句ではないのです。例えば、オクタビオ・パス、彼はノーベル文学賞を受賞していますがこんな俳句を作っています。
   私は、ある壁の前に立った。 
   壁にはこうあった。
   「ここから君の未来が始まる」と。
 
   ここから君の未来が始まる?これは俳人の言う言葉ではないでしょう。さらに、
   ビオイ・カサーレス、彼はアルゼンチンの重要な小説家の一人ですが、その中で、「俳句」と名づけたものを書いています。
   ロサリオの夜
   この道路に小便を
   熱弁をふるいながら
   
   これが俳句でしょうか?自然について何も言っていません。季語も何もありません。少し複雑な単語を使い、韻を踏んでいるだけです。非常に表面的です。趣味が悪い。つまり、この詩は俳句ではないのです。
   最近、マリオ・ベネデッティが以下のような俳句収集版を発表しました。
   私を埋葬するとき、
   お願いだから、忘れないで、
   私のペンを一緒に
4-1  西洋人は、俳句とはいったい何かと考えているのでしょうか
俳句と川柳、雑俳の混同
西洋人が俳句を作るとき、実際、それは川柳や雑俳を作っているのです。
私は、スペインのある大学で、また、インターネット上で最も重要な、スペイン語の俳句のホームページでの審査員を務めています。
   こういうものが、俳句のコンクールに出てくるのは珍しくはありません。
   
   あんなにも細かった
   あなたの考えることと一緒に
   空に漂って
   スペインにはグレゲリーアという文学のジャンルがあって、これは短い、寸評のようなもので、取るに足りないことを主題にしているのですが、多くの人はこれを俳句と取り違えているのです。
   あと、テーマの中には、男女の愛を歌うものがありますが、スペイン人は、文学作品にはこのようなことをテーマにしなければという観念に取り付かれています。ただしこの手のものは、文学作品のコンクールには、賞を取るような俳句としてはおおくありません。
   コップの縁に
   君のくちびるが
   そのあとに僕の唇も
   スペイン人に、俳句とは男女の愛はうたわないものである、その代わりに短歌というジャンルがある、ということをわかってもらうのは実に難しいのです。
4-2  審査員が審査できない
   俳句コンクールに出品される9割以上が、では、ざっぱいや川柳であったとしても、問題は実はその点ではありません。たいてい、俳句コンクールの審査員こそが、俳句とは何であるかを知らず、その結果、嘆かわしい俳句に賞を与えてしまうのです。
スペイン俳句協会の会長は、フェルナンド・ベルメホという方ですが、数年前、最優秀賞に次の俳句を選びました。
   もう、関係ない
   君のむき出しの足が
   僕の足に重なって
   フェルナンド・ロドリーゲス・イスキエルド氏は、スペインの日本学学会会長ですが、俳句の最優秀賞には似たようなものを選んでいます。
   生意気なクモが言った。
   「すぐに引っかかるさ」
   で、巣をつくった
   一方、アンダルシアにある日本名誉領事は、ホセ・マリア・カベサ・ライーネスという方ですが、最高の俳句として次のものを挙げました。
 
   黒人の女よ、キスをしてくれ
   お前の白いそばかすに
   私が溶けてしまうように
   
   つまり、問題は、俳句を作る人にあるのではなく、俳句のスペシャリスト(専門家)と思われている人たちにあるのです。
4-3  最も有名な俳人
   西洋人が一番好きな俳人は小林一茶です。これだけで、もう意味がわかります。一茶は日本では、俳句の有名な人として知られているからです。しかし、一番の俳人言うわけでもないでしょう。そして一茶を代表する点といえば、全体的に日本の繊細な感受性を表していることでしょう。
   そのために、西洋人は一茶を真似して、西洋人にとっては最も下等な動物であるもの、例えば蚊、おたまじゃくし、のみなどに「愛情」を示そうとするのです。これが日本的であると信じて疑いません。それは、理想の、環境にやさしい、「エコ」を、日本という手段で表しているのです。それはそれで悪くはないのですが、しかし、それは俳句とは何の関係もありません。
   そして、最悪なことは、西洋人は、俳句を作るときに道徳の規範から逃れられないということです。これは、一茶の句に見られます。
俳人は、句を作る際、その感動を句に表さなければいけませんが、それがいいとか悪いとかいう道徳判断を示す必要はありません。
   大勢の
   子に疲れたる
   すずめかな
   ここに見られるのは、俳句の翻訳者とその読者に共通する、キリスト教思想です。キリスト教や仏教は、単純に起ることを描写するというものの見方に対して、善し悪しの裁きを入れないと気がすまないのです。
4-4  これこそが俳人であるという手本(模範、規範)
   もし一茶が、最もよく読まれていて愛されている俳人であれば、最も尊敬されている俳人は芭蕉でしょう。スペイン語には芭蕉の俳句はほんの少ししか翻訳されていないのですけれど。
   こういった俳句の大部分はフランス語の翻訳から来ています。これは、ビジャルバという、スペイン人の禅僧ですが、かれは日本語など一切知りません。
   あとは『奥の細道』の翻訳が二つ、よく知られています。一つ目はオクタビオ・パスと林屋えいきち もの、そしてもう一つはアントニオ・カベサスのものです。この二人の翻訳書は、スペイン人をとりこにしました。ただ、オクタビオ・パスは日本語を知りませんでしたし、アントニオ・カベサスは日本に長く住んでいたため、スペイン語を忘れてしまっ高のようなスペイン語だったのですが。
しかし日本では、芭蕉は「俳句の父」といわれています。そして、俳句が好きであるといってしまえば、芭蕉のことも当然好きだといってしまわなければいけないような気がしてしまうようです。
   さらに、芭蕉は半分、禅僧でした。あるいは、西洋人はそう信じています。そして西洋人にとって俳句とは、ブライスと鈴木大拙が伝えた禅の心です。
   それを示すのは、以下の例がぴったりです。
   枯れ枝に
   からすのとまりけり
   秋の暮れ
   最近、この句についての芭蕉の俳画が、日本で発見されました。そして、結局それは一羽のカラスではなく無数のカラスであることがわかったのです。あるカラスは木にとまり、別のカラスは木の周りを飛んでいるといった具合です。
   禅の静寂さというものは、俳句を解釈する人々の頭の中だけにあったのです。しかしそれは重要なことではありません。芭蕉のカラスの俳句は、芭蕉がどう考えていたかにかかわらず、以前から解釈されてきたように静寂さを表しながら、解釈され続けるでしょう。
   西洋人が、俳句という衣装をまとって、西洋人自身の描く東洋思想を作り出すこと、そのときに芭蕉の俳句の厳かさをまねしてしまう、(しかし、到底表すことは出来ない)これは本当に最低です。
5   西洋が、俳句を理解するようになるまでの難しさ
   日本の、俳句で最も代表的な人は、芭蕉ではなくて、蕪村だよと、西洋人に説明しても、
   そしてまた、俳句というものが何であるか、西洋人がわざわざ日本に来ても、日本の精神性や感性といった特徴的なものが、西洋人の理解を難しくしています。
例えば、西洋は俳句というものは、「見たまま」なのだと信じています。しかし、日本人にとって俳句というものは視覚だけではなくて触覚だということです。俳句が私たちをいざなうものは感触、五感、肌身で感じるということなのです。
だから、阿部公房は『砂の女』で魂は、私たちの肌に、皮膚にあるといいました。
・・
   一方、日本の精神というものは私たちの周りにある、数え切れないほどの小さなすべての事を、一つにして、感じ取るためのものです。
   この包括的な認識というものは、日本人が自然に備えている特徴(一面)です。
西洋人はある具体的な一点に集中してしまい、ほかのものがまるでそこにないかのように感じてしまいます。
同様に、西洋と日本の価値観の違いは、言葉を尽くして話すか、あるいは何も話さないか、ここにもあらわれます。俳句の中でそれが言われているか言われていないか、解釈するのは、西洋人にとって非常に難しいのです。
   俳句では、日本人の生活のように、一番重要なことは決してはっきりとは言いません。反対にその奥ゆかしさがなければ、俳句の美しさは失わ